2007年 10月 25日
8372...
8372・・・
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昨日は友達知り合い3人に連れられサラエボから車で3時間程の場所にあるSrebrenica(スレブレニッツァ)という小さな街へ。 
行くまでは、どこに何をしに行くのかすらまともに聞かされてなかったので、ただただ霧に包まれる風景を車の窓から眺めたり、寝たり。そして、到着した場所は、普通なら特に観光するような街でもない、ただ戦争の傷跡がサラエボより復旧が遅くてまだまだ多くの廃墟がある街。 僕たちが向かった場所は、その街のセンターの外れにある大きな墓地。 
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ボスニア・ヘルツェゴビナで見られる墓地は大抵どこも新しい。 なぜなら、内戦後に建てられたものばかりだから。 要するに、ここもその一つ。しかし、この場所は少し訳ありらしく、隠された問題があるらしい。“隠された問題”といっても、僕が知れるぐらいだからボスニア人はみんな知っているんだろう。 
聞いてみると、ちょうどこの墓地の向かいにある工場のような建物の中でセルビア人にサラエボ人が殺されたという。同行していた、ボスニア人のセナが言うには、1995年のある5日間のあいだに起こった出来事らしい。墓地の入り口にある大きな石に書き込まれている数字、8372...と言うのはお分かりの通り、死者の数です。 しかし、現在でもなおこの数字は増え続けているとのことです。 現に行った時、墓の穴を掘ってる作業員が数人いました。 これだけでも十分に問題なんやけれども、それに輪をかけるような謎の事実があるみたいです。
その殺された工場のような建物の向かいにも大きな建物がるんやけども、そこは停戦監視の役割のもとで入っているオランダ軍の基地だったと言う。 そんな基地の目の前の場所で大量に殺されたというのがこの問題と言うか謎なところ。 そんな感じで友達が説明してくれて、「また何か分からないことがあったらいって。」という。 が、そんなん今聞いたこと全部分からんわ。
その話を聞いて、何をどのように理解したらいいのかすら分からない。要するに分からないことだらけ。  そんなことを思いながら、墓地の中をゆっくりと歩く。 墓石にはその人の生まれた年と死んだ年が刻まれているが、ここにある墓地全部、死んだ年は「1995年」と刻まれている。 
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生まれた年を見れば、1980年や1982年と僕と同じ年や僕より若い人までいる。 もし僕がここで生まれていたら、かなりの確率で僕はもう既にこの石の下にいたのかもしれない。そして、何をしにきたのか分からない日本人に自分の墓地をバシャバシャと写真を撮られたりするんやろうと、考えてしまう・・・ こうして在る、今の自分の身分に何を不満に思うことがあるんやろう。 ただただ、ありがたい。
帰り道、その墓地の前を元気に笑って走っている子供達をみて、少し気が安らいだ気分になる。
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by mapping_yuki | 2007-10-25 20:29 | Diary


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